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青二才さんの御質問をうけて

ツイートのまとめと若干の補足を。

複数ルートで、全然意識してない(ヘタしたら嫌いなぐらい)であるゲンロン関係の人と僕が方向性として同じ方を向いていること・同じことを言ってることがしばしばあるのですが…なんでなんでしょうね?

https://twitter.com/tm2501/status/806901526132236288


これは、お答えするのが難しい問題です。

青二才さんの謎の直感の仕組みは、同じブロガーの立場から見ても本当に謎ですし、批評誌『ゲンロン』が出版されるまでに積み重ねられてきたであろう議論についても、ぼくはほとんど知りません。

なにぶん批評については知識があまりにも不足していて、『ゲンロン』自体についてすら理解が不充分という、実に中途半端な状態です。

ただ、青二才さんと、ゲンロン代表の東浩紀さんとについては、ごくごく表面的な経歴のレベルでなら、類似点を挙げることは可能です。


まず第一に、ブロガーあるいは批評家としての活動初期に置かれていた環境です。


青二才さんは「はてな村」、東浩紀さんは批評界、という、かなり複雑かつ厄介な文脈が堆積していたであろう環境に若くして登場し、先人たちから注目と厳しいマークを受ける立場に立たれたと思います。

その詳細は知るよしもありませんが、当時の界隈にあった抑圧的な空気や風当たりを間近で味わったであろうことは、両者の回顧談から推察されます。「青二才さんと東さんは、本質的によく似たものを見てきたのではないだろうか」というのがぼくの印象です。

これは、きわめて稀な立場であり、特殊な環境です。確立された応答のテンプレートや処世術などがあったとは思えません。逐一、自分の頭で考えて対処していく必要があったと思われます。(ブロガーあるいは批評家として、当然のことなのかもしれませんが)


第二に、その後の両者の姿勢――「ブログ」あるいは「批評」というものを、これからどうしていくのか考え、手を打ち続けるという姿勢です。


現在では、青二才さんも東さんも、一つの拠点を維持しながら、ブログ界・批評界全体の未来を考えていく立場にあります。ぼくの管見にもとづく印象ですが、両者ともに、その立場を放棄しないという姿勢は一貫しているのではないでしょうか。

そういった姿勢で事を進めていく過程で、御二方は、ブログ界・批評界に根を張っている各種の問題にぶつかり、直視してきたのだろうと思います。『ゲンロン』の共同討議でも語られている批評界の問題は、ブログ界の問題をしばしば想起させるものでした。

ここでもまた、「両者は、よく似たものを見てきたのではないだろうか」という印象が強くなります。


第三に、未来の経歴について。


個々のブロガー・批評家が、これから目指していく社会的立場についても、青二才さんと東さんの態度は似通ったところがあるように見えます。

青二才さんは、ブロガーがマスメディアの「ライター」というアガリに向かっていくことについて、違和感と拒否感を表明されています。

東さんもまた、批評家が「テレビ」や「大学」といった旧来の場に腰を落ち着けることについては、否定的であると思われます。少なくとも、東さん自身がそれを選択する確率は低そうです。

両者の経歴の類似関係は、今後も続いていくものと思われます。片や「ブロガー」、片や「批評家」という、前例がまるでアテになりそうもない特殊な経歴です。その過程で御二方が考えることには、今後も奇妙な符合が見られるのではないでしょうか。


以上、知識の不足を憶測で埋めようとしているため、たいへん歯切れの悪い回答になってしまいましたが、ひとまずはこんなところで。

補足

お答えしていく流れの中で、言い落としてしまったことが一点。


青二才さんも東浩紀さんも、往時の環境(昔のはてな村 / さらに昔の批評界)の中で潰れてしまった芽、実現しなかった可能性について、今もなお、語り続けています。


(御二人の今後の活動の意義を、ぼくたちブロガーが理解していくにあたっては、この点が最も重要な「見所」になるかもしれません)



ゲンロン4 現代日本の批評III

ゲンロン4 現代日本の批評III

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