互助会批判者は老害ですらない


老害扱いされることは承知の上的な身ぶりで何かを言っていますが、これはもう老害ですらありません。


「クソつまんない」「有益な情報」「面白い文章」「鋭い目線」「役に立たない情報」「実力で得た1000人のフォロワー」「見る価値」


本人の中では何かしらの意義を持っている言葉なのかもしれませんが、その本人のことを知らない私には、意義が全く伝わってきません。ペラペラの言葉です。


そういう言葉を聞き流して、さて残る主張はといえば、

「そういうことしてると、俺に嫌われるよ」 (誰?)

「おまえの葬式には行かないよ。村八分じゃすまないよ」 (どこの人?)

といった具合で、これは本当にインターネット用の文章なのだろうかという疑問まで湧いてしまいました。


ただ、「誤字脱字だらけ」というのは、よく解ります。こちらは数値化も難しくありません。お金やフォロワー数と同じように。

数だけが伝わる

近頃どうも、「保守のスキルが無い保守派」とでも言うべき人が目につきます。さらに平たく言うなら、「無能な二代目」。


何かしらの教養や、仲間内のツボを外さないセンスは持っている、少なくとも「自分は持っている」と思っているようなのですが、それをもってやる事はといえば、必読書150を挙げるでもなく、フォロワー相手に「バカ発見!」と騒ぐばかり。

これでは、影響力もジリ貧になってしまいます。遠からず、無力になるでしょう。齢をいくら重ねたところで、老害にすらなれません。


そのあたりはとうに見切られているのか、最近の若者は、PVにせよ広告収入にせよ、まず数を示します。そして他人が示した数に、熱い視線を注ぎます。どこかの誰かが引きずっている謎の価値体系など、意にも介しません。

「金には綺麗も汚いも無い」という物言いに対して、「いや、汚い金というものはある」「悪銭身につかず」なんてことを言うのは、老人古株のお定まりでしたが、それを言う者は、金額の多寡とはまた別の次元にある何らかの価値基準を背負っていたわけです。


しかしそれが、無能な二代目の時代になってしまうと、話が違ってきます。

親の世代の口真似で「これには価値がある」「こいつには価値がない」なんてことを言っても、次の世代にはそれだけじゃあ伝わらない。伝わらないから、三代目はもう数しか見ない。それで二代目は、ふてくされて仲間を集めて酒でもあおって憂さを晴らすしかない。

心に不安を抱えた人はとにかくよく喋ります。

苦悩する落語―二十一世紀へ向けての戦略 (カッパ・ブックス)

半分以上の噺家が、この先どうしていいのかわからなくなり、とりあえずバカラのワイングラスのようなプライドだけを守り、もしも壊れた時は、ひとつひとつの破片をノリづけしながら暮らしていくことになります。

苦悩する落語―二十一世紀へ向けての戦略 (カッパ・ブックス)

トップダウンボトムアップの雑種

「金には綺麗も汚いも無い」というのは、これはこれで、現代社会をうまく回していくためにある、一つの思想です。


王様がいない。貴族がいない。世間の風向きがコロコロ変わる。技術の進歩が速い。何と何とが組み合わさってどんな新しい商売が出てくるかも判らないし、何が人を幸せにするのかも決めつけられない。

そういった時代には、「とりあえず各々、思い思いの商品を提供してみて、メモリを売っても1万円、屁を売っても1万円で、結果的に金をたくさん稼いだ奴が、注目の集まる高い所で良い暮らしをすることにしよう」というやりかたが、向いているのかもしれません。


「しかし、それにも程度というものがある」と言い出して、古き良き価値観で社会のタガを締めるのが老人の本領というやつでしたが、今ではもう「程度」とか「良識」とかいう曖昧な領域でジャッジを行なう人間そのものが、不信の眼で見られ、さらには無視されるようになっています。


それもそのはず。長い年月をかけて出来上がった価値基準を、新参者に伝えていくのはとても難しい。一から愚直にやろうとすれば、とんでもない労力か説明能力を必要とします。

そしてどうやら二代目は、初代の価値基準だけをぼんやりと受け継いで、説明の手筋を学んでいません。


世代間の教育というものは、ただ説明をするだけでなく、天下りで呑み込ませていくしかない部分もありますが、二代目にはそういう器量も欠けています。上位の立場から確固たる何かを教えたそうなそぶりは見せますが、戦略と計画性がありません。保守派のわりに、バクチまがいの出たとこ勝負が体に染みついている。どうにもチグハグです。


ひどいのになると、同じ二代目同士でうなずきあって指差して嘲笑って、それで何かをした気でいる。ここまでくると、藁人形に釘を打つのと、たいした変わりはありません。結局、次の世代には、「なるほど。世の中には、大きな蛸壺と小さな蛸壺があるのですね」ということしか伝わりません。


そしておとずれたのは、やるべき事と自由が共にある御時世。まことにもって、ありがたいことです。

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