ブログの五次元地政学のために

もがくブロガー

  • ブロガーはどこから来たのか?
  • ブロガーはどこにいるのか?
  • ブロガーはどこへ行くのか?

そして、これらの問いに答えを出してくれるブログはあるのだろうか?


強烈な意志はある。

僕は100年先の国語の教科書にフミコフミオさんやヨッピーさんみたいな人が出た時に、文学史が描かれた国語便覧の隅っこに「ブログ・Webライティング文化文化」の隅っこに三沢文也が載っていたいし、それをやりたい子どもがいてほしいわけ。
文化や技術として認められたいわけ

https://twitter.com/tm2501/status/799959217016709121


同感だ。しかし、道筋が見えない。


ブロガーが、しかも、はてな村のブロガーが、文学史に?


今のところ、ありえないとしか思えない。


広告史の1行として、

「広告と広告の間のスペースで何かしらを書いてる新手のサンドウィッチマンがけっこういました」

くらいのことが、書き残される可能性はある。


しかし、それ以上の記述を歴史にねじこむための手筋は見えない。


はてな村など個別のブロガー集団の「歴史」なら、

すでに語られているし、これからも語られることはあるだろう。


しかし、そのはてな村はどこにあるのか?

文学史国史の中で、どのように位置づけられるのか?

さっぱりわからない。

神をもつかむ

  • 「プロレス」
  • 「炎上芸」
  • 「芸がある」「芸がない」


ブロガーがブログについて語る時に、使われがちな言葉だが、

今のところ、悪い冗談のような比喩でしかない。


とは言え、

新しいブログの歴史を立ち上げ、既存の文化史に接続させたいブロガー(俺なんですけど)は、

プロレスや芸能(とりわけ話芸)の歴史に学ぶべきかもしれない。



書き残された落語家の芸談を読むと、

これはもうブロガーの「芸」なんて芸の内に入らない、という厳しさを感じながらも、

ブログの過去や未来の姿が垣間見えることがある。

ブログが歴史とつながっているような気がしてくるのだ。


プロレスの歴史についても同様。

リアルやフェイクやアングルをどろどろの状態で抱えこんだまま、

激しすぎる栄枯盛衰を重ねてきたプロレス。

語られた歴史に対する熱い抗議もふくめて、

これもまた、ブロガーに多くの示唆を与えてくれる。


さらに、

歴史自体を語る芸である講談の歴史。

アクロバティックな高みから、あらゆるジャンルを語らんとする批評の歴史。

ここまで含めると、えらく近所がにぎやかになったような気がする。

  • ブロガーはどこにいるのか?


これが明らかになるまでは、この世も無ければあの世も無い。

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