加速の加速 (1) イケダハヤトと堂島静軒

イケダハヤトというブロガー

イケダハヤトは
加速趣味者か?
加速主義者か?
加速投資者か?


イケダハヤト氏については、とうに皆さま御存知である、という前提で話を進めます。


ただし、仮に、「炎上芸で獲得した知名度を武器に荒稼ぎを続け、多くのフォロワーに道を誤らせる邪悪(evil)なブロガーである」という先入観をお持ちであれば、
それはいったん、脇へ置いていただきたい。


その見方をことさら否定する気はありませんが、同調して言葉を重ねる気もありません。

今さらその是非を云々しても、はてな村にとっては何ら益するところがない、というのが私の考えです。

もはや、そういう状況ではない。

イケダハヤト氏のブログと、彼に象徴される時代の潮流によって、
古い体質のブロガーたちは滅び去ろうとしています。

われわれ古代魔法の探求者も、例外ではありません。


今すべきことは、
イケダハヤト氏を1つの巨大な台風とみなし、その進路を予測することです。

是非善悪を検討している場合ではありません。

予測をもとにした避難、あるいは投資によって、生き残りを図らなければなりません。


とはいえ、ただ「予測」といっても、
何から手をつければよいのか、漠然としすぎています。

私はまず、「加速」という切り口から、イケダハヤト氏のブログを読み進め、
下記の問いに答えを出していきたいと考えています。

イケダハヤトは
加速趣味者か?
加速主義者か?
加速投資者か?


独自用語丸出しの設問で恐縮ですが、
その意味は、これから書いていく文を通じて、何となく伝わっていけばいいなくらいの感じでよろしくどうぞ。

堂島静軒という趣味人

堂島静軒は
加速趣味者か?
加速主義者か? ×
加速投資者か?


堂島静軒。
元・帝国陸軍大佐。

架空の人物です。

京極夏彦氏の代表作、1950年代の日本を舞台にした妖怪小説の登場人物です。



この小説の中では、堂島静軒は無敵のキャラです。

刃牙シリーズの世界、
迫力ある格闘描写が主眼であり、個人の暴力がアメリカ大統領すらも平伏させる世界において、
巨凶・範馬勇次郎には誰も勝つことができないように、

隙の無い言葉だけで組み立てられた小説の中では、
情報操作のエキスパートである京極堂ですら、堂島大佐を操ることはできません。

エアキックを1発入れて、努力賞としてのエア味噌汁を受けとるのがやっとです。

「――お前の好きな古き善き約款が役に立たなくなると云うだけのことだ。家族も村も町も国も滅ぶ。それは当然の成り行きだろう。私は――その進行を少し速めてみただけだ」
「速める意味などない」
「早い方が好いに決まっている」

塗仏の宴 宴の始末(3)【電子百鬼夜行】


この、堂島大佐と京極堂のやりとりからもわかるように、
堂島静軒は「加速する人」です。

ただシンプルに、時代の流れを速めるだけです。

けして、自分の力で、時代の進路を変えようとはしていません。

そもそも、
「時代の進む方向は個人の意志によって変えることができる」などという信念とは無縁の人物です。

我我の住む世界は元来傾いている。
だからほんの一寸押すだけで好い。
何も大きく歪める必要はないのだ。
傾いた方に、少しだけ押せば済む。

塗仏の宴 宴の始末(1)【電子百鬼夜行】


超常の力で世界を支配する悪の化身、といった感じのラスボスキャラではありません。

ただ、他人の願望を刺激し、背中を押して、行動へと向かわせるだけです。



彼がそのようなことをする理由は、おそらく、1つしかありません。

時代の流れを加速するためです。それが堂島大佐の趣味なのです。


この趣味は、娯楽小説の読者であれば、よく理解できるものかもしれません。
物語の展開を楽しみ、そして結末を求めて、文字を追い続けるという趣味。

西尾維新氏の小説において〈人類最悪〉と呼ばれるキャラは、
この「趣味」を主眼として、堂島静軒を読み換えたキャラだと思われます。



堂島大佐の加速趣味。

巻き込まれる者にとっては、えらく迷惑な趣味ですし、
悪趣味と呼べるものではありますが、排除すべき邪悪であるとは断じきれません。

たとえ堂島大佐を排除しても、滅びの要因となるもの(みんなの願いと自然の理)が消滅するわけではないからです。

遅かれ早かれ、彼が予見した通り、滅びの時は来てしまいます。

時間の問題でしかありません。

時間の問題でしかないものを、大問題であるとみなすか、些細な問題であるとみなすか、
それもまた、各個人の趣味の問題でしかありません。

というか、「趣味の問題でしかない」ということにしておくのが賢明でしょう。


仮に、社会の安定を重んじる立場から、加速趣味を糾弾しようとすれば、
加速趣味よりさらに危険な、「加速主義」と「減速主義」によるイデオロギー闘争を誘発することになりかねません。

そして何よりも、己のすることを趣味によるものと割り切っている人間に対しては、
主義(社会的立場)のレベルでの糾弾や解体は無効です。

京極堂といえども、相手の考えを変えられないことを前提とした言葉を、
1つのパフォーマンスとしてぶつけていくしかない。


堂島「紙の本は、市場から消えていくよね」
京極「だからって積極的にトドメを刺しにいくことはないでしょ! やめてくださいよ堂島先輩!」


堂島「まだ会社で消耗してるの?」
京極「会社にもう人生乗っちゃってる人だっているんですよ! いいかげんにしてくださいよ!」


といった感じでしょうか。


かなりブロガーについての話っぽくなってきたところで、続きは後日。

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